Vol.12 ドローンとスケートボードの類似性 [古賀心太郎のドローンカルチャー原論] | DRONE

東京オリンピック2020大会で、印象に残ったシーンはいくつもありましたが、今大会で注目を浴びた競技のひとつに、新種目スケートボードが挙げられると思います。ストリートの堀米雄斗選手と西矢椛選手、パークの四十住さくら選手が金メダルを獲得し、日本でもこのスケートボードという競技への注目度が一気に高まりました。

実況でも解説されていましたが、スケートボードは単なるスポーツとしては括りきれない、極めてカルチャーに根ざした競技であり、むしろカルチャーそのものと言っても過言ではない存在です。

僕は以前から、スケートボードとドローンとの間にはなんとなく似た部分があると感じていて、それは、スケーターとドローンパイロットという人間たちが、互いに共通した感覚を持っていることに起因しているからではないかと思っています。

そこで今回は、オリンピック開催を機に、スケートボードとドローンの類似性について考えてみたいと思います。

海外空撮クリエイターとスケートボード

海外のドローン映像を見ていると、クリエイターの多くがスケートボードに関わる作品を手掛けたり、本人がスケーターであることに気がつきます。

ドローン空撮の仕事を始めたばかりの頃、インターネットで海外の空撮映像をよくリサーチしていたのですが、あるとき、アメリカの映像クリエイター、ロバート・マッキントッシュの作品に目を奪われました。2013年の作品であるサンタモニカ・ピアのドローン映像は、今から8年も前の機材によるものですが、驚くほどクオリティの高いFPV映像です。

彼の作品は、狭い隙間をすり抜ける技術レベルの高いフライトが見所ですが、まるで自分が鳥になったかのような気持ちのいい浮遊感が特長で、思わず何度も繰り返し観てしまいました。

ロバート・マッキントッシュが撮影した有名な一発撮りの空撮映像のひとつが、2012年にリリースされた「Pretty Sweet」いうスケートビデオに収められています。

Panasonic G5を搭載した中型サイズのドローンを操縦し、ビデオ冒頭3分半ほどのカットを撮影しているのですが、幅の狭いストレート、地面スレスレの低空、スケーターたちのトリックとのタイミング合わせ、飛行する軌道の滑らかさ、それらすべてが揃わないと成立しない映像です。

小型のFPV機ならいざ知らず、このサイズのドローンで撮影を成功させていることに驚き、たいへんな感銘を受けました(ちなみに、本作の演出は、映像作家・映画監督として有名なスパイク・ジョーンズ。彼も生粋のスケーターです)。

アメリカのフォトグラファー、ジェフェリー・ムスタッシェも、若い頃からスケートボードに親しみ、スケートシーンを写真に収めてきたといいます。

彼はドローンにLEDを搭載して空から照明するドローンライティングに興味を持ち、様々な写真作品を発表しています。スケーターの一瞬の姿を強烈に印象づけるドローンライティングは、スケートボードをスタイリッシュに、そしてダイナミックに表現する、とても効果的な手法だと思います。

ドローンメーカーであるDJIも、スケートボードとドローンの親和性を感じてか、スケーターをDJI S900という機種で撮影した動画を制作しています。

このように、アメリカを中心とした多くのドローンクリエイターの作品を見ると、スケートボードというカルチャーがその背景に見え隠れすることがあります。スケーターのように動き回る被写体を追うには、3次元空間を自由なアングルで撮影できるドローンというテクノロジーが相性が良いことはもちろんですが、僕には、スケーターとドローンとの間に、共通した考え方や思考、感覚のようなものが垣間見える気がします。

空間認識の類似性

イギリスの建築史家イアン・ボーデンが書いた、「スケートボーディング、空間、都市―身体と建築」という本があります。建築や都市空間を論じる目線で、スケーターの思想や行動、スケートカルチャーを考察するというとても興味深い内容なのですが、この本は、スケートボードとドローンの類似性について、その答えのヒントを示してくれています。

スケートボードの本来の舞台はストリートです。街の中には、ありとあらゆる形状の物体が散らばっていますが、スケーターは、普通に街を歩く人々とはまったく違った空間認識をしています。彼らにとって、手摺りは滑り降りるものであり、階段は飛び越えるもの、縁石は乗り上げてスライドやグラインドするための対象として存在します。

Vol.12 ドローンとスケートボードの類似性 [古賀心太郎のドローンカルチャー原論] | DRONE

一方ドローン空撮の世界でも、例えばFPV機では、ベンチや椅子の下をくぐり抜け、狭い隙間を縫って疾走するなど、構造物を被写体としてではなく、見るものに驚きを与えるギミックとして利用することがあります。

もちろんドローン空撮は、山を山として、建物を建物として、被写体を上空からの目線で捉えるという機能が基本ですが、"この庭園は真俯瞰で見れば、幾何学的に見えて面白いだろう"といった、空からしか見ることのできない斬新な見え方や構図を見出し、映像に落とし込むことは、クリエイターの腕の見せ所と言えます。

一般の人に比べて、ドローンパイロットは頭の中でgoogle earthのような3D地図を思い浮かべることに慣れているので、地上からは推し量るのが難しい三次元的な形状や、精度の高い規模感、距離感を推察する能力が高いと言えます。

スケーターが持つ、非スケーターとは異なる視点。ドローンパイロットが持つ、非ドローンパイロットとは異なる視座。この両者の特徴を端的に表現したのが、オスカー・ニーマイヤーの建築でスケートするというレッドブルの映像作品です。

ブラジル出身の建築家オスカー・ニーマイヤーの独創的な建築のフォルムは、ドローン目線で言えば、見る角度や高度に応じて様々にその表情を変える大変興味深い被写体です。例えばニテロイ美術館は、正面と真上からでは全く違った形状を見せるので、ドローンパイロットにとって、この不思議な構造物のカタチを使っていかに驚きを与えられるか、挑戦しがいのある対象物と言えるでしょう。

一方スケーターからすると、ニーマイヤー建築は有機的な曲線が多用されているため、スケートボードと非常に相性が良く、彼らの(少々過激な)クリエイティビティを刺激する格好のスポットとして映ります。

スケーターとドローンパイロットが持つ、一般の人とは異なる特殊な視点で空間を評価する能力が、この映像作品には暗に示されているような気がします。

「スケートボーディング、空間、都市―身体と建築」は、スケートボード界のレジェンド、ジェイ・アダムスが手のひらで路面に触りながら低い姿勢で滑る姿を引き合いにして、"スケーターは道路をスキャンしている"と説明します。スケーターは、視覚による形状のアウトラインの認識だけでなく、五感をフルに使って、音や振動、触覚などの微細なインプットから、路面の滑らかさや細かい変化を感じ取ります。

形状やテクスチャーのスキャニング、これはまるで、ドローンによる測量や点検のような行為です。

スケーターたちは街を歩きながら、高精度のSLAM(Simultaneous Localization and Mapping:自己位置推定と環境地図作成の同時実行)のように環境を把握し、さらに足の感覚や指先の触感を駆使して、対象物の表面状態を測ります。測量や壁面点検に求められるような分解能の高いセンサーを、その体に秘めているということです。

解析、評価、マッピング

シカゴの連邦政府センター、ニューヨークのワシントンスクエア、パリのパレ・ド・トーキョー、新宿のジャブジャブ池。どれも何の変哲もない街の一部にすぎませんが、実はこれらは、世界中のスケーターに知られるスケートスポットとして有名な場所です。"あそこの縁石はテールスライドするには最高だ"、"スミスグラインドに最適な手摺りはここだ"、というように、彼らはストリートに点在する対象物を探索し、解析、評価していきます。

インターネットが今ほど発達していなかった90年代以前、これらのスケートスポットは、「スラッシャー」や「トランスワールド・スケートボーディング」などの雑誌を媒介としてスケーターたちに紹介され、情報が広まっていきました。2000年代以降は、ネット掲示板などがプラットフォームとなり、コミュニティはスケーターが訪れるべき"名所"をマッピングして、世界中で共有してきたのです。

都市のスキャニング、解析、評価、マッピング、そして共有。いま、僕たちがドローンを使って社会に実装させようとしている様々なソリューションと本質的に同じ行為を、実はスケーターたちはストリートで何十年も前から行ってきました。

多くの人々は、スケートボードは子供の遊びだと思っているかもしれませんが、スケーターたちの複雑な空間的行動が、ドローンの産業における業務プロセスに近いというのは、とても興味深い事実です。

スケートボードから学ぶべきこと

オリンピックの女子パーク決勝で、世界ランキング1位の岡本碧優選手は、大技に果敢に挑戦したものの、残念ながら成功させることができませんでした。しかし、涙を流す岡本選手の周りに他の選手が駆け寄り、みんなで彼女を抱え上げ、称え合う姿が大きな話題を呼びました。

どの選手も失敗しても笑顔で、他の選手がトリックを成功させると興奮を大爆発させて喜び合う。これは、伝統的なスポーツにおける崇高なスポーツマンシップとは少し趣の違う、スケートカルチャーの核の部分だと言えます。

スケートボードをやっていればみんな友達。その日、一番かっこ良かったヤツが最高。これが、スケーターたちのマインドです。そもそも彼らには最初から国の壁など存在しないので、「国籍を超えて称え合う」という、そこに境界が存在することを前提にした表現は、実は的を射ていないのです。だからこそ、「多様性と調和」をテーマに掲げた今大会にとって、新種目スケートボードは、オリンピックに大きな意味をもたらしたのではないでしょうか。

今、日本国内で、ドローンに関わるあらゆる人々が目指すべきものは、ドローンの社会実装です。日常生活の中で頭上を飛行するという、リスクあるテクノロジーを社会にインストールさせるには、国、地方自治体、民間企業、民間団体、個人が組み合わさった、"面"で押し上げていかなくては実現できません。

あくまで僕の個人的な感覚ですが、この数年間の国内のドローンの業界を見ていると、ある種の閉塞感と不調和が漂っているように感じます。例えば、インターネット上で見受けられる、ドローン初心者や新規参入者へ放たれる頭ごなしの厳しい言葉などは、まったく面白いものではないし、物事の本質を見失っているものばかりです。

ドローンがあらゆるテクノロジーの集合体であることに気づけば、様々な業界や人材が手を取り合った協働が必要だという道理が見えてくるはずです。特定の企業の実績だけが突出しても、産業界における新しく適正なガバナンスは形成されません。

もうすぐ法制度も大きく変わり、業界が活気づいている今だからこそ、この不調和を切り拓く必要があります。そして、そのヒントが、僕はこのスケートカルチャーの中にあるような気がしています。