レースから学び市販車をつくるトヨタ。章男社長が自ら出資し“働く”理由

トヨタ自動車が、モータースポーツと市販車開発の融合を加速している。豊田章男社長が私財を投じ、プライベートのレーシングチームを発足。市販車をベースにして競う耐久レースでは自らもドライバーとして参戦し、レースの世界と市販車開発の橋渡し役を担う。トヨタの現場では、早くも効果が表れ始めた。モータースポーツ業界のさらなる発展と「もっといいクルマづくり」のため、活動のギアを一段引き上げる。

4月中旬。「スポーツランドSUGO」(宮城県村田町)で行われたスーパー耐久シリーズ第2戦。レーシングスーツに身を包み、若干の悔しさをにじませながらも朗らかな笑顔でレースを振り返る“ドライバー・モリゾウ”の姿があった。

正体はトヨタの豊田社長。車好きとして真剣にレースを楽しんでいるだけではない。乗車中は路面の状態やそれに対する車の制動、旋回性能などの挙動をつぶさに感じ取り、「クルマと対話」しながら運転している。レースへの参加について「私のポジションは決してレーサーではなく、車を評価する立場だ」と断言する。

2020年5月に、豊田社長は自身が出資し、オーナーとするプライベートチーム「ルーキーレーシング」を会社組織として立ち上げた。トヨタという車メーカーではなく、よりフラットなチームとして参戦することで、レース車両の改良サイクルを上げる。

過酷な条件で走行することで得られたデータやノウハウを市販車開発に生かすだけでなく、その成果を盛り込んだ“良いレース車両”を、他のレーシングチームに提供してモータースポーツを盛り上げたいとの思いがある。豊田社長は「私はモリゾウであり、トヨタの社長でもあり、日本自動車工業会会長でもある。いろんな立場で皆のために働ける」と説明する。

ルーキーレーシングは、21年はスーパー耐久のほか日本最高峰の「スーパーGT」と「全日本スーパーフォーミュラ選手権」、トヨタが主催する公道を使って速さを競う入門者向けの「トヨタ ガズーレーシング ラリーチャレンジ」に参戦を予定する。

GRヤリス、「これを壊すぞ」

スーパー耐久で豊田社長が乗車した、小型スポーツ車の「GRヤリス」。レースと市販車開発の融合が本格的に進むきっかけとなった車だ。「モータースポーツから学んで市販車を作れ」と豊田社長から指示を受け、開発が始まったのは16年。外部のプロドライバーが開発に参画し、豊田社長も「マスタードライバー」として完成直前まで乗り心地や走行性能を評価するなど、総力を結集した。生産では熟練工が携わる、スーパーカーを作るのと同等の専用ラインを構築。20年9月の発売以来好調を維持し、現在もフル生産が続く。

レースから学び市販車をつくるトヨタ。章男社長が自ら出資し“働く”理由

「これを壊すぞ」。豊田社長がGRヤリス開発担当者にそう告げたのは、発売直後の20年9月。壊す、というのは、徹底的にレースで走り込んで改良点などを洗い出すことを指す。完成して終わりではなく、さらに次の目標に向けて車を良くするサイクルをレースで続ける。このスピード感が、レース現場と市販車開発との最大の違いだ。

レースでは不具合が見つかれば次の日には解消しないといけない。しかし市販車では通常、改良までに早くても1カ月はかかる。例えばテストドライバーから指摘された不具合や改良点を、エンジンやシャシーなどの各担当が一度持ち帰り対応を判断する方法を取るためだ。

GRヤリスではこういった階層決定をやめ、現場の裁量で物事を決めている。それが可能になったのは、走行データを見える化できたことも大きい。これまでは感性重視で、不具合があってもどこに原因があるのか分からず各担当同士で水掛け論になっていた。

しかし今では、ブレーキを踏んだタイミングやステアリングの状況などをミリ秒単位で記録。車の状態変化が数字で見えるようになり、不具合を詳細に特定できる。

レース走行で得られるデータはノウハウの塊だ。GRヤリスの開発にも携わった、ルーキーレーシングに所属するプロドライバーの佐々木雅弘氏は「当初はレーシングエンジニアから『見せられない』と言われて細かいデータが見えない部分もあった」と振り返る。しかし「今は全て見られ、しっかり連携できている。より意のままに操れるユーザーに魅力的な車に近づけられる」と評価する。

トヨタ内では従来は「レースはレース、市販車は市販車」との考え方が主流だったという。しかし「車を限界まで使うことで、今まで見えなかった世界が見える」(担当者)。ルーキーレーシングにはトヨタのエンジニアが加わり、レースの手法と市販車開発を融合する動きは強まっている。GRヤリスで実施した短期間での開発モデルを他の車種にも広げたい、というのが豊田社長の狙いだ。

次は水素燃料エンジン

カーボンニュートラル時代のモータースポーツに対する挑戦も始める。水素を燃料としてエンジンを駆動する、水素エンジンの実用化だ。

トヨタが開発する水素エンジンをルーキーレーシングに委託。5月21―23日に富士スピードウェイ(静岡県小山町)で開かれるスーパー耐久第3戦の24時間レースでは、旗艦ブランドの「カローラスポーツ」に搭載して初走行する予定だ。豊田社長は「環境問題が出てきても、モータースポーツに持続性を持たせたい」と力を込める。

プロジェクトが動きだしたのは20年末。開発陣が持ち込んだ水素エンジン搭載車に、豊田社長が試乗し「レースに出たらどうか」と話したのがきっかけだった。トヨタでモータースポーツ部門を統括する佐藤恒治執行役員は「持ち込んだ自分はチャレンジングだった」と笑う。

GRヤリスのエンジンをベースにして、燃料電池車「MIRAI(ミライ)」のシステムや技術を応用する。まだ開発の初期段階で、豊田社長は「このタイミングで出すの?というのが正直なところ」と明かす。だが佐藤執行役員は「実用化するには早い時間軸でやらねばならない。開発サイクルの短いレースで、水素という難しい技術を“手の内化”していく」と宣言する。この水素エンジンも「徹底的に壊し」て、実現に近づけていく。

(取材・政年佐貴恵)

日刊工業新聞2021年5月4日