ガソリンの「シェル」や電球の「フィリップス」のお膝元! オランダの自動車産業|オランダ発! ニッポン旧車の楽しみ方

クラブ会長を務めるディルク・アウッテンボハートさん(運転席)は、この1967年式ホンダT500のレストアを去年完成させた。「8年前クラブのあるメンバーが亡くなったとき、遺族がパーツを引き取ってくれと言ってきた。その家を訪ねて、小屋の中でこのクルマを見つけたんだよ。真剣に交渉して何とか譲ってもらった。レストアにはかなりの金額をつぎ込んだよ」オランダへ輸入されたのは3台のみ。「一般には販売されず、ホンダの人たちが店回りをするのに使っていたらしい」そのうち現存するのはこの1台だけだ。

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イギリス、ドイツ、フランスと周囲に自動車生産大国があり、自国では世界的な自動車メーカーが育たなかったオランダ。しかし自動車関連の企業の発祥地であり、古くからレースも盛んに行われてきた国だ。当然ヨーロッパ車が主流となる土地柄ではあるが、熱心な日本車のファンも存在。ビックリするほどの資料を持つ日本旧車マニアにも会うことができた。▶▶【写真14枚】身体が大きくて屋根を外さないと乗ることができないトヨタスポーツ800に乗ってやってきたカートさんなど【オランダ発!ニッポン旧車の楽しみ方】オランダの自動車産業 過去には一時日産が欧州拠点を置いたオランダであるが、そんなオランダも、クルマの発祥という観点で見ると今ひとつ印象が薄いことは否めない。イギリス、ドイツ、フランスという自動車生産大国3国に囲まれる形で存在したオランダは、隣国の自動車生産と張り合う競争力に欠けたというか、真剣になりきれなかった、はたまた根気が続かなかったとでもいうべきか。 そもそもの始まりは古いのである。2000年代にF1に名前の登場した「スパイカー」は、その名の本をただせば、1900年ごろ独ベンツのライセンス生産をはじめたスパイカー兄弟が始まり。1903年世界初の直列6気筒エンジン搭載のレースカーを作ったり、1922年には当時の24時間スピード世界記録を出したりと、意欲的に活動し存在感を示した。しかし会社は長続きせずに破産。わずか25年の歴史しか残せなかった。 スパイカーと時代は隔たるが、ドンカーブート社も英ロータス・セブンから始まったもの。今も少数スポーツカーのみを作っている。パッションから始まったクルマ作りを、広く発展存続させようという考えと並々ならぬ熱意を持つ、われらが本田宗一郎的人物はこの国では輩出されなかったらしい。 さればと大きな自動車会社をオランダの過去に探してみると、1つだけ、DAFというメーカーがかつて存在した。 修理工場から始まったDAFは、1949年に商用車、1958年には乗用車を生産開始。ベルト式無段変速機を世界初採用するなど革新的なメーカーだった。ところがこの時代のヨーロッパの国々といえば、今のEUとは違ってそれぞれ別個の国であって、互いに経済競争をしていた。そんな中にあって裕福なオランダの国内では人件費が高過ぎ、生産した乗用車は隣国との国際競争力に欠けたのである。輸出の伸びないDAF乗用車部門は、70年代にスウェーデンのボルボが買収。純粋な「量産オランダ車」は、実に20年に満たない短い期間しか生産されなかったのであった。 なおも経営悪化の続いた自動車部門は、雇用確保のために1990年オランダ政府が介入、日本からも三菱が参加して再建に努めた(2012年三菱撤退)。その結果1996年からは契約生産を行うネッドカー社としてかつては三菱、現在はBMW・ミニの生産を行っている。 そんな事情で国際主要自動車メーカーの存在しないオランダだが、この国の名誉のために言っておきたい。オランダはガソリンの「シェル」やヘッドランプ電球の世界的ブランド「フィリップス」のお膝元でもあるし、トラックやバスなど大型車両の生産をする立派なメーカーも存在する工業先進国である。 ヨーロッパでは昔から自動車レースも盛んだったのに、オランダは存在感を示さなかった。2度の世界大戦で中立の立場を守ろうとした国の意思をもって、自動車関連技術の発展を自ら望まなかったのだろうか。当時のオランダ人の心中を想像してしまう。初出:Nostalgic Hero 2015年 12月号 vol.172(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

Nosweb 編集部