コロニーと呼ばれる集団をつくり階層社会を営む「真社会性生物」の驚きの生態を、進化生物学者がヒトの社会にたとえながらわかりやすく語った名著『働かないアリに意義がある』がヤマケイ文庫で復刊! 働かないアリが存在するのはなぜなのか? ムシの社会で行われる協力、裏切り、出し抜き、悲喜こもごも――面白く、味わい深い「ムシの生きざま」を紹介する。
明治の文豪、夏目漱石は「草枕」の冒頭で、「智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい」と言っています。なぜ住みにくいのか? それは人の世が「他人のいる社会」だからです。
職場では、長い時間をかけて準備をした営業プランがお客さんの心変わりでボツに。一生懸命やっているにもかかわらず、上司に「もっと働け」と言われる。くたくたになって家に帰れば、妻や娘から「もっと家の手伝いもして」とか、「お父さんのパンツと私の服、一緒に洗わないでよ」という言葉が待っている。
風呂あがりにビールを飲もうと冷蔵庫を開けたらビールは息子が飲んでしまってすでになく、がっくりと肩を落として閉じた扉には、町内会の役員をやってくださいというお知らせがマグネットで貼られている。テレビに目を向ければ、環境問題とやらで大好きなマグロの刺身が食べられなくなりそうだ―。
このように社会のなかで生きていると、自分の「こうしたい」思いと、社会からの要請の狭間で煩悶(はんもん)することになります。
もし、世の中から他人が一人もいなくなったら気楽じゃないでしょうか? なんでも自分の好きなようにできれば、私たちが日々抱えるストレスのほとんどはなくなってしまうのではないでしょうか?
ちょっと考えてみれば、その想像がただの夢にすぎない理由はすぐにわかります。社会の存在はストレスと同時に、個人の生活に巨大な恩恵をもたらしているからです。
もし、他人が誰もいなくなれば、私たちは日々の食料を手に入れることすら困難になってしまうでしょう。もちろん、私たちの生活を根底から支えている電気、水道、ガスなどのインフラも止まってしまいます。そんな世界で生き延びていける人は、ほとんどいません。
ヒトという生き物は社会なしには生きられないのです。
ところで、社会をもつ生物はヒトだけではありません。様々な生き物にも、そして、その辺を這(は)い回るちっぽけなムシたちにも社会としか呼びようのない集団が存在します。
単に群れをつくって行動する生物(例えばメダカなど)を「社会がある」と呼んだり、アフリカの草原のようにいろいろな生物が同じ場所に住んでいることを「生物社会」と呼んだりすることがありますが、生物学では、もっと特殊な集団構成をもつ生物だけを「真社会性(しんしゃかいせい)生物」と呼び、他の集団から区別しています。
みなさんも、ハチやアリの多くが女王を中心に集団生活を営んでいることはご存じでしょう。彼らは、繁殖を専門にする個体と労働を専門にこなす個体(ワーカー。アリでいうと働きアリです)からなる、コロニーと呼ばれる集団をつくる真社会性生物です。
私は大学院以来、真社会性生物を専門的に研究してきました。彼らは個体の上に階層(=社会)があるため、起こる現象が格段に複雑になり、とても興味深い研究対象なのです。
生物進化の大原則に「子どもをたくさん残せるある性質をもった個体は、その性質のおかげで子孫の数を増やし、最後には集団のなかには、その性質をもつものだけしかいなくなっていく」という法則性があります。「生存の確率を高め、次の世代に伝わる遺伝子の総量をできるだけ多くしたもののみが、将来残っていくことができる」とも言い換えられます。
ところが、真社会性生物のワーカーは多くの場合子どもを生まないので、「子孫を増やす」という右の法則とは矛盾する性質が進化してきた生物、ということになります。なぜそんな生物が存在するのか?
この謎は進化論の提唱者チャールズ・ダーウィンが、自分の進化論を脅かす可能性がある例として、彼の著書『種の起源』のなかで紹介しています。この謎によって真社会性生物は、昔から生物学者の注目を集めていたのです。
1980年代まで、真社会性生物はハチ、アリ、シロアリくらいしか知られていませんでしたが、その後ハチ、アリ、シロアリとはまったく類縁の異なる昆虫のアブラムシで発見され、最近では、ネズミ、エビ、カブトムシの仲間、はてはカビの仲間にも真社会性と呼べる生き物がいるとわかっています。
生物の分類では、同じものと見なされた個体の集まりを種、近縁であると考えられる複数の種を集めたまとまりを属、いくつかの近縁な属を集めたものを科というように階層的な体系を設定しており、同一のレベルの階層(種や属)を分類群と呼びますが、社会性生物の社会構成はハチとネズミのような遠い分類群間でも、ハチとアリのような近い分類群内の種によっても違っています。
ハチやアリではコロニーのなかには普段はメスしかいません(本書では特別な場合を除き、次世代を生む能力をもつ個体をメスとしています)。働きバチや働きアリもみんなメスです。女王もメスで、オスの王はいません。
アリの一部には体が大きく、戦闘や限られた仕事に特化した「兵隊アリ」と呼ばれる大型の働きアリがいる種がありますが、もちろん兵隊アリもメスです。アリやハチの世界は完全な女系社会です。
ミツバチの世界を舞台にした『みなしごハッチ』や『みつばちマーヤの冒険』といったアニメでは、門番は男なのですが、そんなことは実際にはないのです。
ミツバチのオスは新しい女王が交尾を行うごく短い期間だけに現れ、女王と交尾をするとすぐに死んでしまいます。女王はそのとき受け取った精子を体の中で生かし続けることができ、長い一生のあいだ、ずっとその精子を卵(らん)の受精に使います。
一方オスは1ヵ月ほどの短い人生の期間中、まったく働きません。交尾のためだけに行動します。1回交尾をすると死んでしまうほとんどのオスバチやオスアリは、社会を維持するという観点からは厄介者です。
英語でオスのミツバチが「厄介者」を意味するドロウン(drone)と名付けられているのも、たくさん現れ、働かず、巣の蜜を消費してしまうオスが、養蜂家にとってはなんの利益ももたらさないからです。
ミツバチたちにとっても働かないオスは交尾期を過ぎるとただの厄介者のようで、新しく生まれた女王が充分な回数の交尾を済ますと、働きバチはまだ巣にいるオスにエサを与えなくなり、激しく攻撃して巣から追い出してしまいます。
追い出されたオスたちはむなしく死んでいくしかありません。ハチやアリの女王にとって、オスは精子を受け取るためだけに必要な存在でしかないのです。人間の男としてはちょっと複雑な気持ちですね。
真社会性生物にも様々な社会形態がありますが、繁殖する個体としない個体が協同する特徴は共通しています。自分の子どもを残すという個体の利益になる行動をしないのに、他個体の繁殖を補助する行動をとる「利他行動」と呼ばれる行動が、真社会性生物とその他の社会性生物を区別する点です。
複数の階級が協力して一つのコロニーを形成する真社会性生物は、単独で暮らす生物にはない、様々な複雑さを見せてくれます。本書ではそこから生じるたくさんの疑問への回答を試みています。
集団をつくり協力することは、「集団をいかにうまく動かしていくか」という、単独で生活する生物には起こり得ない問題を発生させます。そうはいっても彼らはムシですから、誰かが全体の状況を判断して組織をうまく動かすように命令をくだす、などといった知能ある芸当はできません。
アリなどの集団行動を観察しても、状況判断を行って全体を動かしている個体がいる様子はありません。ハチやアリには司令塔はいないのです。にもかかわらず、ハチやアリのコロニーは適当な労働力を必要な仕事に適切に振り向け、コロニー全体が必要とする仕事をみごとに処理していきます。先ほどの「集団をいかに動かすか」問題はどうやって解決しているのでしょうか?
真社会性生物の基本的なライフサイクルは次のとおりです。コロニーのなかに分散能力に優れた(多くは翅(はね)をもつ)次の世代の女王とオスが現れ、巣の外に出て交尾を行い、女王は分散して単独で新しい巣をつくり、子どもであるワーカーを育てます。
ワーカーが成長すると労働を専門に担うようになり、コロニーが大きくなり、そしてまた新たな女王やオスをつくりだすのです。
この真社会性生物には「女王」や「王」と呼ばれる、子どもを生む仕事を独占している個体が必ず存在するわけですが、一方で生物の世界には「生んだ子どもの数が多いほど、その性質が広まりやすい」という基本ルールがあります。
では、なぜ女王アリの生んだ子は女王でなく、子どもを生まない働きアリとして生まれ、何代にもわたって「子どもを生まずに働く」性質を伝えてこられたのでしょうか? 子どもを生まないのなら、その性質が次の世代に残らないはずなので、これは生物学の大問題なのです。
また、アリの巣を観察すると、いつも働いているアリがいる一方で、ほとんど働かないアリもいます。じゃあ、働いてばかりいるアリと比べて、働かないアリはただの怠け者なのでしょうか? それならそんなアリが巣の中にいる必要はないのではないでしょうか? そんなものがいる理由はいったいなんなのでしょうか?
他にも真社会性生物では、社会をつくるがゆえに生じるメンバー間の複雑に絡み合った利害関係が、興味深い現象を引き起こしています。社会といっても、各メンバーは独立した個体ですから、人の社会と同じように集団と個体の利益のあいだにはたくさんの齟齬(そご)があります。そこで起こることは人の社会とまったく同じ、協力、裏切り、出し抜き、など悲喜こもごも。はては殺し合いから戦争まで起こります。
こういった生物学上の興味の他にも、集団をつくる生物では、身につまされるような行動がたくさん見られます。
例えば、アシナガバチの女王は働きバチが巣の上で休んでいると、まるで「さっさと仕事しろ!」と言わんばかりに激しく攻撃し、エサを取りに行かせます。しかし働きバチもさるもので、巣を出ていった後、少し離れた葉っぱの裏で何もせずぼんやりと過ごしていたりします。喫茶店でさぼっている営業マンみたいですね。
この本では、社会性生物の様々な生態を紹介し、その奇妙でときにユーモラスな行動を楽しんでいただきたいと思っています。
生物としてのヒトとムシの一部は、社会をもつ点では共通性がありますが、体の構造から知能程度までまったく違う生き物です。社会性のムシは、人間にとって身につまされる切ない行動から、「そんな高度な行為が本当にこのムシたちの集団にできるのか?」と言いたくなるような複雑な集団行動、はてはヒトではあり得ないような驚くべき現象まで、実に多様な生き方を示します。
ムシは人のことなどかけらも考えずに生きていますが、人はムシの生き方から、様々に教わることが多いように感じるのです。
本書は、第1章でムシの社会に見られる集団行動の例とワーカーの働き方を見ていきます。第2章ではワーカーの個性が組織の維持にどう作用するかを考え、第3章では、いったいなんのために彼らが働くのかを、第4章では協力する個体間にも存在してしまう、個体の利益を確保するための争いを、第5章ではそれでも集団で生き延びていくことの重要性を、それぞれ解説します。
そして終章では、真社会性生物の研究から見えてくる個体と社会の関係と、科学がヒトの社会で果たす意味をまとめてみる、という形をとっています。要は、本書を通じて真社会性生物の世界を、初心者の方にもわかりやすく紹介するのが目的です。
この本は一般の方を対象にしていますから、あまりに堅苦しい専門的な説明はしません。まったく生き物を知らない方が息抜きに気軽に読んでいただくのもよいし、生物に興味のある方が読んで「へぇーそうなんだ」と思っていただければとも思います。
文章も目的に合わせて、かなりくだけた調子にさせてもらいました。各章の最後には、「この章でわかったこと」を簡単に振り返っています。
私の学問的な専門分野は進化生物学にあたり、生物が示す様々な性質が「なぜ(Why)」そして「どのようにして(How)」進化してきたのかを明らかにすることを目的としています。進化生物学は医学の研究のようにすぐに成果が社会に還元できるものではありません。
しかし、社会性生物の研究は、進化生物学の研究分野では研究者の数が多い分野です。「多くの人が研究に従事している事実が、真社会性生物の面白さを示している」といえるだろうと思います。
多くの生き物好きが魅せられる真社会性生物。その一端をご紹介し、読者のみなさんの社会生活を豊かにすることに少しでも貢献できれば幸いです。
※本記事は『働かないアリに意義がある』を一部掲載したものです。
今の時代に1番読みたい科学書! 復刊文庫化。アリの驚くべき生態を、進化生物学者がヒトの社会にたとえながらわかりやすく、深く、面白く語る。
『働かないアリに意義がある』著: 長谷川 英祐発売日:2021年8月30日価格:935円(税込)
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【著者略歴】長谷川 英祐(はせがわ・えいすけ)
進化生物学者。北海道大学大学院農学研究員准教授。動物生態学研究室所属。1961年生まれ。大学時代から社会性昆虫を研究。卒業後、民間企業に5年間勤務したのち、東京都立大学大学院で生態学を学ぶ。主な研究分野は社会性の進化や、集団を作る動物の行動など。特に、働かないハタラキアリの研究は大きく注目を集めている。『働かないアリに意義がある』(メディアファクトリー新書)は20万部超のベストセラーとなった。