レジェンドが語るコスプレ文化の30年「当時はほぼすっぴん。自宅の住所を教えるのも普通でした」

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『FateGrand Order』宮本武蔵。武器は自作(2021年スタジオにて撮影)

レジェンドが語るコスプレ文化の30年「当時はほぼすっぴん。自宅の住所を教えるのも普通でした」

今や、テレビや雑誌などのメディアでも取り上げられることが多くなったコスプレ文化。とは言っても、日本でのコスプレの始まりは70年代初頭と言われるほど歴史の長いカルチャーである。クオリティの高いコスプレや、まるでCGのようなレタッチ技術が普及しているが、コスプレ黎明期はどんな時代だったのか。90年代から福岡でコスプレイヤーとして活動している、はるさんの話から紐解いていきたい。【写真】クオリティも桁違いに進化…95年のはるさん、ほか写真で見るコスプレ変遷史【21点】今から25年前。『ファイナルファンタジーVI』が発売された1994年頃にコスプレを始めたはるさん。現在は市販のウィッグを購入し、手直ししてから使用するのが一般的だが、当時はそうではなかったと言う。「当時はウィッグが無いので地毛でキャラクターの髪の毛を再現していました。もちろん衣装も全て手作り。私の初めてのコスプレは、天野喜孝さんがデザインを担当していた『ファイナルファンタジーVI』のティナ・ブランフォードだったんですけど、衣装の模様が凄いので、このデザインをどうやって再現しようか当時は試行錯誤しました」つけまつ毛や、カラーコンタクトといった2次元を再現する上で欠かせないコスメ類もまだ普及していなかった時代。はるさんはイベントにすっぴんで参加していたそう。「高校生の頃はメイクの仕方も知らなかったので、ほぼすっぴんでイベントに参加していました。私は1度コスプレを辞めて30歳手前でまた復帰したんですが、その頃には、つけまつ毛を付けている人が増えていてビックリしました。私が住んでいる福岡でウィッグが買えるようになったのもそのぐらいだったと思います」さらに、コスプレ撮影といえばスタジオを借りるのが主流。しかし90年代では、そもそもスタジオ自体が無かったという。「15年前の福岡ではウィッグショップの横に併設しているスタジオはあったんですけど、今みたいにすごく作りこまれたスタジオは無かったですね。そもそも、作品の世界を再現して写真を撮ろうという風潮は、ここ10年弱くらいのモノなのかなと」時代とともにアニメやマンガキャラクターの演出や装備が華美に。すると写真に求められるクオリティも上がり、当然カメラマンたちの存在が必要になる。「昔はコスプレイヤー同士で撮り合うのが当たり前で、専属でカメラマンさんにお願いすることはほぼ無かったですね。だから私も一眼を持っています。『艦これ』を中心にコスプレしていた時期があるんですけど、艤装(船体パーツのこと)がすごいじゃないですか。流石にそのぐらい装飾が大きくなると自分では撮影できなくて、自然と仲の良いカメラマンさんにお願いするようになりました」インターネットの登場で同じ趣味を持つ人やファンとの交流の仕方や写真の露出先も変わったという。今ではTwitterに写真をアップして交流する人が大多数を占めるが、以前は『ファンロード』(1980年創刊のアニメ雑誌。誌面のおよそ9割を読者投稿が占める)という雑誌内での交流や、コスプレ会場で出会った人に住所を教えるのも普通だった。「カメラも写ルンですとかの使い捨てカメラが主流の時代でしたよね。普通にイベントに参加している方が撮ってくださることがあって、家に送ってくれる方もいましたよ。当時は自分が作った同人誌の奥付に住所を書いていたので、そこに手紙と一緒に写真を送ってくださる方がいて。今思えば怖いですね(笑)。でも当時はそれが普通でした」

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