鉛筆ソックリ 空自も使った傑作戦闘機 F-104「スターファイター」初飛行-1954.3.4

世界初のマッハ2突破機

航空自衛隊のF-104J「スターファイター」戦闘機(画像:航空自衛隊)。

鉛筆ソックリ 空自も使った傑作戦闘機 F-104「スターファイター」初飛行-1954.3.4

 1954(昭和29)年3月4日、アメリカの航空機メーカー、ロッキード社が開発したジェット戦闘機F-104「スターファイター」の原型、XF-104が初飛行しました。【往時の飛行シーン】航空自衛隊のF-104「スターファイター」をイッキ見 総生産機数は約2600機、母国アメリカをはじめとして世界15の国と地域で使用されたF-104は、世界で初めてマッハ2の壁を破った戦闘機でもあります。 F-104が生まれるきっかけになったのは、朝鮮戦争において旧ソ連のジェット戦闘機MiG-15が出現し、それによってアメリカ空軍を始めとして航空機メーカーなどに衝撃が走ったことです。 MiG-15は、対抗馬とされたノースアメリカンF-86「セイバー」戦闘機とほぼ同じ推力のエンジンを搭載していながら、全備重量はF-86と比べて30%近く軽量に造られていました。また機体もコンパクトであったため、推力重量比や翼面荷重といった点でF-86を大きく凌駕していたのです。 加えて、朝鮮戦争に参加したアメリカ空軍のパイロットたちから「アメリカ製戦闘機は本来、必要のない装備や能力が多く付与されている影響で大きく鈍重になっており、戦闘機が本来備えるべき、高速性や上昇性、運動性などの基本性能が低くなっている」という声が航空機メーカーの技術者に伝わります。このことにより、ロッキード社では空戦能力に重点を置いた比較的小型の制空戦闘機を開発することにしました。 一方、アメリカ空軍も同時期、MiG-15との戦訓を鑑み、軽量な機体に強力なエンジンを組み合わせ、機動力と高速性に優れた戦闘機を欲するようになっていました。 こうして誕生したのがF-104の原型、XF-104というわけです。

日本も採用、最後は無人標的機として運用

F-104J「スターファイター」の原型であるXF-104(画像:アメリカ空軍)。

 試作機XF-104は、当初予定されていたJ79型ターボジェットエンジンの搭載が間に合わなかったため、既存のJ65-B-3型エンジンを搭載して初飛行に成功、その後J79を搭載したYF-104がマッハ2を達成しています。 アメリカ空軍では1958(昭和33)年2月から部隊配備が始まりましたが、翌1959(昭和34)年には日本も採用を決定、三菱重工でライセンス生産を行うなどして1961(昭和36)年度から6年間で230機を導入し、北海道から沖縄まで全国に配備しました。 F-104Jは、航空自衛隊が装備した戦闘機として、初めて超音速の飛行性能を有した機体でした。加えて20mmバルカン砲を装備した最初の機体でもあり、搭載する空対空ミサイル「サイドワインダー」と合わせて、長らく日本防空の主力であり続けました。 なお、航空自衛隊のF-104Jは1986(昭和61)年にF-15J「イーグル」戦闘機に更新される形で完全退役します。ただ、程度の良い機体については無人標的機に改造されることになり、最終的に14機が遠隔操縦のフルスケール標的機「UF-104J/JA」に生まれ変わっています。 UF-104J/JAに対する最初の実弾射撃は1995(平成7)年3月に実施され、各地の戦闘機部隊から派遣されたF-4EJ「ファントムII」やF-15J「イーグル」によって3機が撃墜されています。翌年にも何機か撃墜され、1997(平成9)年3月に最後の1機が撃墜されてUF-104J/JAの運用は終了。日本の空からF-104「スターファイター」は姿を消しました。 ただ、世界を見渡すとその後も運用は続いており、イタリア空軍では2004(平成16)年10月31日まで、現役で運用していました。

乗りものニュース編集部