ギャルのカリスマ・うさたにパイセンが語る死生観(中西正男) - 個人

岩本紗也加の名前で人気モデルとして活動しつつ、YouTubeチャンネル「usataniうたさにパイセンギャルの教科書」でギャルについての発信を続けるユーチューバーのうさたにパイセンさん(26)。今年5月に発売したエッセイ「いずれ死ぬ身、ド派手に生きろ」も話題になっていますが、幅広い活動の根底にあるのは「死について考え続けた1年」だと言います。

お母さんの一言

5月にエッセイを出したんですけど、もともと、本は好きだったんです。落ち込んでいる時は本屋さんに行って新しい本を買う。そして、自分にプラスの気持ちを取り入れるというのがいつもの流れだったくらいで。あんまりそう見えないかもしれませんけど(笑)、昔からそれは続けてきていたんです。

なので、逆に、そういう時に皆さんに手に取っていただけるような本が書けたらなという漠然とした思いはあったんです。

でも、実際に本を出すのは簡単なことではないですし、遠い世界の話だろうなと思っていたら、2年ほど前に仕事で知り合った方から「今までの思いを絶対に本にした方がいい」と勧められまして。実際に出版社の方も紹介してもらい、そこからはありがたいことに話がどんどん進んでいきました。

これまでの自分について書くということは、これまでの自分と向き合う時間でもあったので、いろいろなことを見つめ直すきっかけにもなりました。

学生の頃から雑誌を見るのがすごく好きで、そこに載っている服とか化粧品をいくつもアルバイトを掛け持ちしながら買ってたんです。でも、あくまでもモデルさんにあこがれるだけで、自分がその世界に行くという感覚は全くなかったんです。

そんな中、高校1年の時にお母さんから「そんなに好きならモデルを目指せばいいじゃない」と言ってもらったんです。この一言で、全てがガラッと変わりました。私がそんなことを目指してもいいんだ…と。

お母さんは、その言葉をいろいろな思いを込めていたんだと思います。

高校1年の時は私が一番荒れていた時期でもあって、家に帰ってこなかったり、家に帰ってもギャル雑誌を見てほとんどしゃべらなかったり。お母さんからしたら、その状況に当然思うところがあったみたいで、何年も経ってからお母さんに聞くと「とにかく夢を見つけてほしかった。もっと言えば、その時の生活から抜け出してほしかった」と…。

私が小学生の頃にお父さんとお母さんが別居して、私はお母さんとお姉ちゃんと暮らしていたんですけど、そのうちあまり家に寄り付かなくなって。お母さんと仲が悪いというか、接点がない生活になっていたんです。

お母さんにしたら、なんとかその状況を変えたい。その思いからの一言だったと思うんですけど、それがすごく私の心に響いて。一気に感覚が変わって、それまではすごく太ってたんですけど16キロ痩せて、東京のモデル事務所に入ったんです。

死ぬことばかり

実際にモデルの世界に入って感じたのは「思っていたのと全然違う」ということでした。東京に来たら、何もかもキラキラした世界になると思っていたんですけど、人見知りな性格もあって周りの人とコミュニケーションがとれない。

ギャルのカリスマ・うさたにパイセンが語る死生観(中西正男) - 個人

それとリアルな話、モデルになったら金銭的にも豊かな生活ができると思っていたら、全くそんなこともない。思っていたことと全く違う生活が始まったんです。

そんな中で、パニック障害という病気になっていったんです。渋谷みたいに人が多いところはイヤホンとサングラスをつけていないと歩けない。

夜も寝られない。寝ようとしても、死んだらどうなるのか。死ぬ時はどんな感じなのか。細胞が死ぬのか、脳が死ぬのか、目が死ぬのか…。実際に死んだら、その後どうなるのか。死についてばかり考えるようになっていったんです。

東京に出てきて1年ほどはそういう時間を過ごしてたんですけど、そこでいろいろな出会いがあって、なんとか今を迎えることができています。

一つは、シンガーソングライターのハジ→さんの曲「3.11。」を知ったことです。私が福島出身というのもありますし、東日本大震災のことを今一度深く考えることにもなりました。

自分がこうやって生きているのも奇跡だし、しゃべれることも、手が動くことも、全てが当たり前ではない。それをとことん感じて、せっかく生きてるんだったら、それをフル活用しよう。そう思ったんです。

そして、大好きな先輩・ねもやよ(根本弥生)ちゃんが同じ事務所にいてくれたことも本当に大きかったです。

ペーペーの私とも本当に仲良くしてくれて。一緒にプリクラを撮った時に「いずれうちらがナンバーワン」ってプリクラに文字を書いてくれたんです。それがあまりにもうれしくて、その場で号泣しました。

せっかく生きていて、せっかく素敵な人にも恵まれて、だったらとことん生きよう。死ぬのは間違いない。だったら、それまで一生懸命に生きる。それが今一番強く考えていることです。

ギャルを世界に

私は決して恵まれた環境にいたわけではないです。でも、その中でも本当にやりたいことがあるなら、あきらめないこと。そして、自分にできることを積み重ねること。それが大切だと思っています。

お仕事のメールを誰よりも早く返す。アンケートをいただいたら、誰よりも中身を濃く書く。一つ一つは難しいことじゃないと思うんですけど、それを続ける。それが次につながるんだろうなと。

ギャルというものに出会って私は変わったので、ギャルという単語を世界共通語にするくらい広めていきたいですね(笑)。

そして、自分が80歳まで生きたとして、その頃にははじけたファンキーなおばあちゃんが普通に受け入れられる世の中になってたらなと思います。

今だったら、ファンキーなおばあちゃんがいたら話題になると思うんですけど、話題になることもなく一般的な形になる。みんなが自分が好きなことを満喫できる。エラそうにすみませんけど(笑)、そんな世界になってたらなと考えています。

(撮影・中西正男)

■うさたにパイセン

1994年12月15日生まれ。福島県出身。2012年に「Ranzuki」専属モデルとなり、その後「ageha」「LOVEggg」などに活動の幅を広げている。16年末からモデルとして使ってきた岩本紗也加の名前のほかに、YouTuber・うさたにパイセンとしての活動も始める。20年、地元・福島県の「あったかふくしま観光交流大使」に就任。今年5月にはエッセイ「いずれ死ぬ身、ド派手に生きろ」を上梓した。