ライカ社主・アンドレアス・カウフマンに独占インタビュー! 経営不振だったドイツの名門を救った経営者の想いとは?

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アンドレアス・カウフマン●ライカカメラ社主。1953年ドイツ・マンハイム生まれ。シュトゥットガルト大学で文学博士号を取得しシュタイナー教育に携わる。その後ビジネスコンサルタントとして独立し、数々の事業経営に参加。2005年にライカカメラ社のオーナーに。

一時期、経営不振に陥ったライカを復権させたキーマンこそ、社主アンドレアス・カウフマンだ。秘蔵のコレクションとともに、あふれる愛を吐露してくれた。【写真をもっと見る】カウフマンが初めて購入したカメラ、お気に入りの写真 など

ライカ社主・アンドレアス・カウフマンに独占インタビュー! 経営不振だったドイツの名門を救った経営者の想いとは?

オーストリア・ザルツブルク。世界遺産にも登録されている美しい古都は、モーツァルトの生誕地として知られ、中世から芸術と文化の中心地として栄えてきた。ライカカメラ社主であるアンドレアス・カウフマンの投資会社「ACM」が拠点を構えるのはこの地だ。2005年、経営が厳しい状況に追い込まれたライカカメラ。その翌年に株式の大部分を買い取り、今日のライカブランドの復権へと導いたのは、紛れもなくカウフマンである。なぜ、ライカは唯一無二のカメラブランドなのか? 今回、その理由を知るために彼のもとを訪ねた。オフィスの2階にある会議室へ足を踏み入れると、「ようこそ、私のカメラコレクションルームへ」と、穏やかに笑みを浮かべて迎え入れてくれたカウフマン。部屋に大切に保管された秘蔵の愛機コレクションを熱心に紹介してくれた後、インタビューは始まった。

ーーまず、ライカカメラのオーナーになった理由を教えてください。株式を買い取った当時から、ライカは世界で最も魅力的でアイコニックなカメラブランドだと感じていました。その理由は、フルサイズといわれる24mm×35mmのライカ規格を発明した会社であり、創業家のライツファミリーは顕微鏡事業が中心だった頃から世界的にも名の通った会社だったからです。また、ライカにはカメラづくりの素晴らしいノウハウが残っており、いずれもとても魅力的に感じたんです。ーー名門を復活させるにあたり、伝統と最新のテクノロジーとの棲み分けをどのようにしようと考えましたか?もともとライカは、新技術の開発に対して積極的な会社です。たとえば1996年には他社に先駆けてデジタルカメラ「ライカS1」を発表。2009年にはAPSセンサーを初めて搭載したコンパクトデジタルカメラ「ライカX1」を開発しました。近年では、白黒しか撮れない「ライカMモノクローム」も発売しましたが、いまだに追随するメーカーはありません。そうした技術革新がある一方、守るべき伝統・歴史もライカの魅力です。経営においては、この性質の異なる両輪を組み合わせていくことが重要だと考えています。ーーライカのブランドを守る上で、最も大切にしていることは?ふたつあります。ひとつは、顧客に対し、真摯に製品の価値を伝えることです。多くのカメラメーカーは製品開発の後、小売りを販売店に委ねるため、自分たちの目が届かない場所で、顔の見えない顧客に自社製品を販売することになります。そこで私はかつて大株主であったエルメスの旗艦店を参考にしました。世界観を守りながら、しっかりと顧客に製品の素晴らしさを伝えること。これはとても大事なことです。06年に世界初の直営店「ライカ銀座店」をつくったのはそのためです。ふたつめは、製品開発において徹底して品質を守る姿勢です。06年に初めてM型のデジタルカメラを発売しましたが、もっと早く発表できたかもしれません。しかし、当時のセンサーはMマウントのレンズを活かせる規格ではありませんでした。そのため、レンズに適したセンサーを開発し、デジタルでもライカの品質が守れると判断できてようやく発売しました。このようにライカは、製品開発にしっかりと時間をかけることで、地に足の着いた技術開発を行っています。

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最終更新:Pen Online