消える「大地のアート」を描く仏人Saype(サイープ) インタビュー | DIRECTION

「Say peace (平和を表現しよう)」の頭文字を取った名前のアーティストSaype(サイープ、1989年生まれ)が、ヨーロッパで脚光を浴びている。彼が山肌や広大な広場にスプレー機で描く「つかみ合った腕」や「子どもが遊ぶ姿」は、あまりにも巨大だ。空からドローンで撮影して、初めて全体像がわかる。使う色は白、黒、グレー。その陰影は地面から浮かび上がり、周囲の自然や建物と調和して強い印象を与える。Saypeの絵は環境を考慮して生分解性のペンキで描いているため、短期間で消えてしまう。絵が放つ強い存在感と描き上げるまでの労力を考えると、しばらくして崩れて消えてしまうのはもったいないが、Saypeはそこに価値を見出して描き続ける。

彼の絵の才能は、10代前半になって開花した。絵は独学だ。学校に通っていたとしてもきっとアーティストとして成功しただろうが、彼は看護師を最初の仕事として選んだ。看護師のキャリアは、趣味のアート活動によい影響を与え、金銭面でも支えになった。やがて、アートフェアやギャラリーで作品を展示するようになり、2015年に第1作目のランドアートをフランスで描いた。その翌年、スイスで描いたサイズ1万㎡の2作目が、当時の時点で草の上に描いたものとしては世界最大だと話題を集めた。彼のランドアート作品は増え、2018年、スイスのジュネーブで描いた「Message from Future(未来からのメッセージ)」もメッセージ性が高く、反響が大きかった。2019年には、フォーブス誌が選ぶ世界を変える30歳未満30人「Forbes 30 Under 30」のヨーロッパのアート&カルチャー部門に選ばれ、ランドアートのアーティストとして、さらに広く認識されるようになった。

クライアントのために描くとともに、2019年から始めた自身のプロジェクト【Beyond Walls(壁を越えて)】で世界中を飛び回るSaypeに、ヨーロッパの自宅に戻ったところで話を聞くことができた。

Saype “Beyond Walls” (VFLPIX.COM /Valentin Flauraud)

ご連絡した時は、ジャングルの中で描いていたとのこと。コロナ禍でも世界を回っていますね。

そうそう! 南米のジャングルの中でしたよ(笑) 1つの作品の準備は、場所の選定も含めて通常1年前から始めるので、やはり延期するのは残念なのです。パンデミックのためにどうしても延期せざるを得なかったのは、2つの作品です。新しい日程はもう決まりましたが、本来の予定が開いてしまい、時間がとてももったいないと感じました。

作品の完成度が完璧です! 失敗しない秘訣は?

原画を手に持って見ながら地面に描きます。原画にマス目(補助線)を引いておき、地面には小さい木製の杭を4mおきに打って、原画と同じようにマス目を作ります。地面に拡大したそのマス目を目安にして描くのです。失敗はできません。失敗して、その箇所の地面を掘り起こすということはできないですし、少しでも間違ったら絵全体の安定感が崩れます。本当に、ものすごく集中力が必要ですね。そこに面白さも感じますけど。

ペンキは、いつも3色? ほかの色は使わない?

そうですね、白、黒、グレーです。でも、いつも同じ色調ではないんですよ。色の材料は環境に極力負担がないものをと自分で考案したもので、白はチョーク(カルシウム)、黒は木炭、そしてペンキが草とか土にくっつくようにプロテインを混ぜて粘着性を持たせています。人は歩いているだけでも環境にインパクトを与えているので、僕は環境に何の影響も与えていないとは言いません。とにかく、最低限に抑えるようなやり方を常に考えています。

これらの粉を描く場所へ何十㎏も運んで、その土地の水と混ぜ合わせます。水質の違いもあるし、描く地面の質も草だったり砂だったり、芝生の状態も毎回違うので、白から黒までの色幅で描く場所に最適な色に調整するのです。各作品で使った色のサンプルは、段ボールの破片に残してあります。

Saype (VFLPIX.COM /Valentin Flauraud)

ペンキの機材とともに、ドローンも必須用具ですよね。

その通りです! ドローンが普及したから僕は芝生に絵を描き始めたんです。両親はアートに本当に全然興味がなかったし、僕は小さいときからスポーツばかりしていたのに、14歳のころ、突然アートに目覚めて、人に知られないような場所を探してグラフィティを描き始めました。目立ちたいとか物を傷つけたかったのじゃなく、ただ自分を表現してみたくて。それからカンバスに描くようになったら親友たちが「これは売れる!」って、みんなで遣うお小遣いを稼ごうと夏休みとかに売ってくれていました。ちゃんと売れたのです。

アートがお金になるとわかって嬉しかったのですが、進路を考えるときになって、母が「アートが大好きなのはいいけれど、自活できるような仕事をしたほうがいい」とアドバイスしてくれました。確かにそうだなと思ったので、看護師になって絵は趣味で続けました。

それで、やっぱり人が亡くなることに近い中で働いていると「世界の中で自分の居場所とは?」とか人生の意味をすごく深く考えるようになるもので、仏教や環境について読みまくりました。そうしたら、何か新しいものを生み出す気持ちがわいてきて。ちょうどドローンがブレイクしていたときで、初めのころに描いていたグラフィティを上から眺めてみようと思い立ったんです。いまとなってはものすごく古いモデルを一台買って、家の庭に描き始めました。

ドローンは、僕のランドアートの可能性を広げてくれます。1つの作品はサイズによりけりで、描くのに2日から1週間かかります。でも、いままでで1番大きいものは、アフリカのコートジボワールで9日間もかけて描いた【Beyond Walls】6作目の腕です(2020年作)。1万8千㎡もあって、1人のアーティストが描いたランドアートとしては世界一だといわれています。9日間、早朝から夜まで毎日ノンストップで描いて心身ともハードでクレイジーでした。5㎏やせましたよ。

一方で、ドローンを使うことは準備にすごく手間がかかります。制作のプロセスで、1番大変な部分かもしれないです。飛行規制があるので飛ばしても大丈夫な場所を探しますが、ドローンを持っての入国自体がスムースにいかないこともあるんですよ、だから手続きは入念にしています。それでも、事前に許可を得ておいたのに問題が起きることもありますね。例えばイタリアのトリノで描いたときですが、余裕をもって市の警察長にドローン撮影の許可をもらってあったのに、直前になって断られたんです。すごく焦りましたよ。でも絶対に撮影しないわけにはいかないので、考えました。トリノのある有名企業の社長が僕の友人だったので相談したら、彼女がイタリアの大臣に電話してくれたのです。それで200人の警官が出動して車や路面電車とかの交通を止め、歩行者もストップしてもらって撮影にこぎつけました。

Saype | Buenos Aires Dia del recyclage 2019

【Beyond Walls】は世界40箇所ほどで描く予定? いま10作品が終わりましたね。

はい、10か所です! いくつ描いたのだっけ?と自分でも思うときがあります(笑)  僕の公式サイトに世界地図を載せてあり、いままでどこで描いたか、そしてこれからどこで描くかをマークしていますが、今後の場所についてはまだ決まっていなくて、あれは「僕が描いてみたい場所」なのです。世界の全部の国は回れないので、その土地の歴史をふまえてtogetherness (連帯感)という価値を強く表現できそうな場所を選びます。日本にもマークを付けてあります。アジア方面で描くとき、日本は絶対に外せないでしょう!

消える「大地のアート」を描く仏人Saype(サイープ) インタビュー | DIRECTION

【Beyond Walls】は、世界難民の日に合わせて、パリのエッフェル塔の下で描いたものが1作目です。きっかけは、その前年にスイスのジュネーブで描いた「Message from Future」(2018年作)です。レマン湖に実際に小さい白い船(折り紙を模倣)を浮かべ、女の子がそれを流しているシーンを描きました。地中海で移民・難民の救助に取り組むNGOを支援するという目的でした。この絵が話題になって、スイス政府が移民・難民政策の一部を変更しました。このとき、「すごい、アートが社会を変えることができるんだ!」と確信しました。

そのころ、僕はトランプの壁(メキシコからの不法移民を防ぐためのアメリカ側の長い壁)の建設は無茶苦茶だと感じていました。その莫大な建設費を、なぜメキシコの人たちを援助することに使わないのかって。そのほうが、メキシコの人たちは幸せになるはずだと思いました。貧困とか戦争で大変な人たちは、本当は自分の国を離れたくないはず。移り住んでも、新しい土地での生活はやはり厳しいのではないでしょうか。そのことを考えれば考えるほど、経済格差にしても環境問題にしても解決に向けて世界で話し合わないといけない、人は互いに学んで互いに助け合うべきだというメッセージを発信せずにはいられなくなって。【壁を越えて】というシリーズ名には、トランプの壁を越えてという意味を込めたのです。 

このシリーズのために2千枚の腕の写真を撮りました。僕が出会った人たちで、誰でも知っているスポーツ選手とかの超有名人もホームレスもいたけれど、写真で腕を見ただけでは誰だかわからないし、人という点では共通している。その普遍性を世界各地で描いて伝えていこうと決めました。毎回描くとき、この腕を描こうと選びますが、誰の腕かは僕自身もわかりません。

2021年3月、ベナンのウィダーのビーチでSaypeの世界的な”BeyondWalls(壁を越えて)”プロジェクトのために描かれた作品 (Valentin Flauraud for Saype )

【Beyond Walls】の作品には、平和や連帯を象徴する場所や、博愛の精神があれば起こり得なかった出来事の舞台を選んでいます。例えば10作目(2箇所の2作品)のアフリカのベナンでは、昔、何百万人という奴隷貿易の拠点だった村の海岸と、奴隷貿易から逃れた人たちが住んだ村の一画にしました。場所の選定には、資料を読んだり専門家から話を聞いたりしています。もちろん、日本での場所選びにもじっくり時間をかけますよ。

2021年3月、ベナンの高床式の村、ガンビーで描かれた作品。 “BeyondWalls(壁を越えて)”プロジェクトは、世界最大の象徴的な人間の鎖を作り、一体感、優しさ、開放性などの価値を世界に広めることを目的としている。 (Valentin Flauraud for Saype )

【Beyond Walls】のほかにも、コロナ禍をテーマにした子どもの絵「Beyond Crisis (危機を越えて)」(2020年4月作)も印象的です。

うーん、あれは素晴らしい作品になりました。どうしてかわからないけど、自分の作品の中でもとくに好きです! 新型コロナウイルス感染がヨーロッパで拡大し始めたとき、僕はアフリカに長く滞在していました。自宅にいた妻が、ヨーロッパではみんながパニック買いに走っていると教えてくれて、アフリカでは全然そういう状況になかったので、とても驚きました。ヨーロッパに戻ったら前代未聞の状況で、世界のあちこちでロックダウンが行われていて、ほとんどの人が暗い面ばかり見ていました。僕は動かずにいられなかった。ポジティブな面もあると伝えたかったのです。

女の子が1人で、手をつないで踊る人たちを白いチョークで描いている様子にしましたが、この女の子は孤独じゃなくて友だちも含めてほかの人たちとつながっているんだ、人間は危機的な状況を乗り越えて調和の取れた世界を作ることができるはずだということを表現しました。

「Beyond Crisis」は別のシリーズ【Human Story(人間のストーリー)】の中の1つです。このシリーズは、その時々で僕の関心を引く話題について描いていて、子どもや高齢の人がモチーフです。

Saype “BeyondCrisis” | スイス レザンのアルプスのリゾートで描かれた作品。(Valentin Flauraud for Saype)

子どもと高齢者をモチーフにする理由は?

子どもはいまという瞬間を生きていて純真で、詩的な感じがして、すごく惹かれます。それに子どもを描くと、「僕たち大人は子どもたちにどんな世界を残してあげるのだろう?」って自分のことやほかの人のことも考えるので、その点がいいですね。高齢の人が好きなのは、長く生きてきた人たちは、やっぱり多くの物事を知っていると思うので、それを尊重したいからですね。

アトリエで小さい作品も描いているのですか? 

アトリエでカンバスに描くのは2年前にやめました。アトリエでの制作はいつも同じ手順で、出来上りがほぼわかっています。ランドアートは本当に毎回まったく違います。アトリエで描くことも楽しいのですが、ランドアートは冒険そのもので、大変な面も含めて面白くて仕方ないですね。

今後もランドアート一筋ですか?

はい! 1つ1つの作品がチャレンジで、それに挑むことに充実感を感じます。看護師だった間、アーティストになればゆったりと仕事ができるだろうと思っていたけど、とんでもなかった(笑) いま、毎日、起きている間はずーっと仕事をしています。休暇中も、何かしらやることがあります。でも、僕はそれに幸せを感じている。

僕のアシスタント2人は、10代のとき、僕の絵を売ってくれていた親友です。仕事をやめて、僕のランドアート制作に携わると言ってくれて。スタッフを増やして作品をもっと発表するスタイルではなく、彼らとの家族のような関係をずっと変えずに進んでいくつもりです。

世界には解決の難しい問題があふれていて、僕のランドアートが持つ力は大海原に垂らした一滴にしかならないかもしれない。それでも続けます。僕の絵は消えてしまうけれど、見た人の心の中には何かを残してくれるのではないかと期待して。たぶん僕は、自分のメッセージが影響を与えるっていうチャンスをもらったように思う。僕には、ほかの人をインスパイアする責任があると感じています。

Saype (Valentin Flauraud for Saype)

—SAYPE*作品のプリントを、サイン入りで販売している—

岩澤里美ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。HP https://www.satomi-iwasawa.com/